いまは「執着を手放す」エネルギーを開発中ですが、素朴な疑問が湧いています。
好むと好まざるに係わらず、この世に生まれてきてしまった。
「人間の肉体」という限定された枠、ボディースーツを着せられてしまった。
あるいは自ら着てしまった。
「意識」は軽々と時空を飛び越える事ができる。
好き嫌いも選択できる。
神も悪魔も選択できる。
愛も憎しみも選択できる。
自由な選択権を持っている。
ボディースーツを離れる事さえもできる。
「肉体」は重力に縛られ、直線的な時間に縛られ、関係性のしがらみに囚われ、自由な選択はできにくい。
「意識」からもなかなか逃れられない。
どうせ不自由な肉体を着ているのなら、そのまま不自由な状態をタップリと経験するのも、一つの在り方なのかも知れない。
別の表現をすれば「大自然の思し召し」かもしれない。
全てそのままの状態で在る、そのままの状態を経験する、そのままの状態を「苦しいことも楽しむ」ことが本筋かもしれない。
もしそうであるならば「執着を手放す」必要は何もない。
むしろ「思いっきり執着する」のも自然な事かもしれない。
・・・・・ということで、いま何かの執着で苦しんでいる人がおられましたら、それにフタをしないでさらに思いっきり執着を続けてください。
「自分はこういう執着を持っているな」と第三者的に認識することで、執着は薄くなってくるのですが、どこかの時点で執着に絶えきれなくなったら「自らの意識」で執着を手放して下さい。
そう云われても、やっぱり「この執着」が苦しい、手放せないという方は、あと数ヶ月お待ち願います。
今は「執着を手放す」エネルギー創りに「執着」しています。