ヒト(人類)の祖先が、チンパンジー・ボノボの祖先と別れたのは600万年前~700万年前くらいらしい。その長い歴史の中で、たかが数千年前から観ると神仏より便利な生活をしているにもかかわらず、たかが数百年前から観ると王侯貴族以上の生活をしているにも関わらず、欠乏感を埋めることには成功していないようです。
科学の進歩により日々の生活は便利になりますが、この「欠乏感」を埋めない限りどこまで科学が進歩しても人類を救わないような気もします。
今の科学も、サナギから蝶に変わるような、思い切った飛躍が必要かもしれませんね。
PH研鑽会は、人型生命体としてTDEの使い方を研鑽している団体であり、欠乏感を少しでも埋めようと研鑽している団体ですが、人間には思いもつかぬようなTDEの使い方の飛躍があるのか、ないのか?
いつか人型生命体から別の生命体に飛躍した時、どのようにTDEを使っているのか、または使う必要もないのか、とても、気になって夜も眠れません。
まあ何千年か何万年か未来の事でしょうが
それはさておき、人間は「欲望、欲求の塊」です。言い換えれば「飽くなき向上心の塊」とも言えます。
アメリカの心理学者マズローによると、食欲、排泄欲などの本能に基づく「生理的欲求」、安全に暮らしたい「安全欲求」、友人や社会から受け入れてもらいたい「社会的欲求」、他人から賞賛されたい「承認欲求」などの「欠乏感に基づく欲求」と、自己を確立したい「存在欲求」、高いレベルで自己を超越したい「自己超越欲求」があると云われています。
理論的なことはともかく、実際の暮らしの中では「欠乏感に基づく欲求」が多く発生し、苦しい思いをすることがあります。
欲望は向上心でもあり必要なことなのですが、それに囚われ拘り続けてしまうと、いつのまにかドロドロとした「執着」になり、そこから抜け出せなくなることもあります。「分かっちゃいるけど、止められない」というところでしょうか。
関係のない他人から見れば大したことではないのかも知れませんが、当事者にとっては「この世の一大事」とばかりに執着しているものとして、「お金に対する執着」「人に対する執着」「物に対する執着」「出来事に対する執着」「地位立場に対する執着」などが挙げられます。
大ざっぱな「執着」は講習会や遊びの会などで実習しているテクニックにより簡単に薄めることが出来るのですが、「お金、人、物、出来事、地位立場に対する、個別の執着」は、それぞれかなり深い領域までアプローチする必要があります。
TDEを利用してこれらの「執着」「欠乏感」を少しでも薄めることができれば、何かお役に立てるかも知れない、ということで開発を進めています。